誰か知る松柏後凋の心

たれかしる しょうはくこうちょうのこころ

起訴後勾留は人権侵害である

最近は少しニュースに取り上げられる頻度は減ったが、日産自動車の元会長ゴーンさんの勾留が長引いていると話題になっている。二度の保釈請求が認められなかったからだ。

 

しかし、そんな物当たり前なのが今の刑事司法である。大阪地検特捜部がらみでニュースになった事件で言えば、森友事件の籠池さんだってそうだったし、郵便不正事件の村木さんだって何ヶ月も勾留されていた。否認すれば出してもらえない、いわゆる人質司法の典型である。

 

私の事件も大阪地検特捜部の案件であったが、幸いなことに起訴後の勾留は実質なかった。起訴後すぐの保釈請求が認められたからだ(もちろん検察は最大限抵抗したため1日保釈が遅れた)。

 

そもそも被疑者を有罪にする証拠が揃ったから、いやもっと言えば、証拠を揃えるために人権侵害してまで被疑者を拘束して効率よく捜査を進めた結果、検察は起訴したのだから、起訴後も被疑者(正確にはその時点では被告人)の勾留を続ける理由はないだろう。

 

争点が明確になるまでは十分な証拠が揃っていないかもしれないから、というのは所定の期間内に捜査を尽くせなかった検察の不手際のせいである。人権保護のために勾留期限が決められているのであるから、その範囲で勾留が留められるように任意の段階で捜査を尽くして十分に準備しておくべきである。自分たちの証拠集めに都合が良いからといって、みだりに人を拘束すべきではない。明らかな人権侵害である。

 

とかく刑事司法の運用は、本来の法の理念から乖離しすぎている。しかも一方的に捜査機関側の都合のよい方に歪曲している。これはいち早く是正されなければならない。ゴーンさんの例が国際的批判を浴びていることに対し、日本には日本の歴史や法制度があるなどと嘯く検察であるが、それは哀れな「井の蛙の自分語り」である。外圧に頼るしかない現況は誠に嘆かわしいが、ゴーンさんの事件が黒船となることに期待するしかない。