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誰か知る松柏後凋の心
(たれかしる しょうはくこうちょうのこころ)
は,二十六歳で安政の大獄にて命を落とした幕末の武士,橋本景岳(橋本左内)の獄中詩(七言絶句)の一節から取ったものです。
苦冤難洗恨難禁
俯則悲痛仰則吟
昨夜城中霜始殞
誰知松柏後凋心
(訳文)*1
吟ずはうめく,なげく,ためいきをつく。城中は,街のなか,ここは江戸のこと。松柏後凋(しょうはくこうちょう)の心は、『論語』子罕(しかん)篇の「歳寒くして然る後に松柏の後凋を知る」,歳が暮れていよいよ寒い時期となり,外の草木がみな落葉した後に,ひとり松や柏ばかりが凋(しぼ)まずに緑の葉をたたえていることがわかる,によった語。安政五年来,謹慎を命ぜられていた景岳は,翌六年正月八日・二月十三日,町奉行所にて糺問(きゅうもん)をうけ,三月四日・七月三日には評定所(ひょうじょうしょ)にて糺問をうけ,十月二日,更に評定所にて糺問の後,江戸伝馬町の獄に下され,同七日,死罪の判決下り,即日獄中で刑せられた。これは,その獄中における作である。――わが藩公(春嶽)*2の無実を晴らすこともできず,痛恨まことに禁じがたいものがあり,獄中に俯仰(ふぎょう)して,ただ悲痛沈吟(ちんぎん)するだけである。さて昨夜,江戸の街に霜が始めて降りたが,霜にあっても凋(しぼ)むことのない松柏の節操を,今の世に知っているものがいるであろうか。まことに幕府の威におののいて,みな今までの主張を変えてしまう,卑怯な人間ばかり多いことである。
私は,学問においても,またその行動力においても,景岳の足下にも及ばない人間ではありますが,景岳の持ち続けた松柏後凋の心に強く惹かれるものがあります。それは,図らずも私が『国循サザン事件』の容疑者・被告人となって,世間の批判の的となり,職を失い,上司や部下の裏切りに遭い,友をも失うなかで,なおも真実を求めて闘うことを決めた私の心そのものでもあります。
この事件で,私は多くの同僚や関係者に迷惑をかける形となりました。それと同時に,失ったものは枚挙に暇がありません。しかし,それでもなお私を信じて支援して下さる方々,あるいは新しい出会いにより知人・友人となった方がいるという事実は,私にとって,大変ありがたいことであると思っています。
これらの人たちは,私の人生の宝であります。
『国循サザン事件』での戦いを通じて,より多くの方々と知り合いになり,また,既知の方々とはより深く知り合い,それらがこれからの私の新しい人生を踏み出していくための端緒となることを希望しています。
今後ともご支援のほど,よろしくお願い申し上げます。
国循官製談合事件,いわゆる国循サザン事件について知りたい方は,こちらのサイトをごらんください。